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vol13.心を開き、曇りなき眼で食の安全を考える

千葉悦子:2010年12月

「情報は複数から得て偏らないようにする」は誰でも知っているのに、なぜ食の安全に関して、科学的に間違ったことが広まり、なかなか正すことができないのだろう?私が8年近く勤務する中学校では、「調べ学習の資料は3つ以上」がかなり浸透している。また、小学校の教員免状取得のための講座を数年担当し、食の安全についてざっと説明して、あまり難しくない資料を指定し、感想を書くという小レポートを課している。「メディアの情報を鵜呑みにせず、情報を選択していきたいと改めて思った。」といったことを、多くの学生が書く。この経験から、単位という縛りのある立場で話を聞いて資料を読めば、長年に渡り形成された食の安全に関するイメージが、だいぶ変わると分かる。   

 しかし、多くの一般の方々はそういう機会に恵まれず、「食品添加物や残留農薬は恐くて避けるべき物」「遺伝子組換えは悪いに違いない」「BSEは恐い。全頭検査はやむを得ない。」「放射線照射食品は聞いたこともない。」「無添加・天然・自然・無農薬は良いに決まっている。」といったイメージを持ち続けているようだ。

 それにしても、メディアリテラシーの基本はある程度分かっているのに、また、食品安全委員会が出来て、ホームページで解説もあるのに、なぜ古い知識に縛られ、やすやすと鵜呑みにしてしまうのだろう?そうならないためのヒントは?と私なりに考えた。

 まず、プライドを捨て「自分は自分の専門分野でさえ、新しい科学技術の情報から遅れているかも。古い知識に縛られ、思い込みが激しいかも。」と自分を疑ってみることが必要だ。そして勉強し直そうと思い立ったら、今までの学び方・師とは違うものや先生を選ぶことも大切だ。でないと、小さな修正しか出来ず、根本的な勘違いには気付かないからだ。

 また、これまでの自分を否定するのは辛いものだが、そういう己を受け入れる勇気を持って、前進することを選ぶしかないと思う。

 偏見から自由になるには、「心を開く」しかなさそうだ。私にとってのきっかけの一つは、学生時代の友人との邂逅だった。禿げた頭を見て「自分も男性ならそういう年齢なのだ」と分かり、それまでの私は「禿げた人に何の関心もない」こと自体、認識していなかったとやっと気付けた。言い換えると、無意識のうちに心を閉ざした状態だったわけだ。それで、今まで関わりを持とうとは少しも思わなかったタイプの人の話も聞いてみよう、という気持ちになった。

 多様な観点から物事を考えるには、直感的には必ずしも好感を持てないタイプの人の話も、まずは聞いてみる姿勢が大事だ。同類で固まっていては、新しい見方ができるはずがない。

 映画「もののけ姫」の初めの方で、たたり神の呪いを受けたアシタカに長老が宣告する。「その呪いのあざは、お前を殺すだろう。曇りなき眼(まなこ)で物事を見定めるなら、あるいはその呪いを断つ道が見つかるかもしれない。」と。この「曇りなき眼」という言葉が、私の胸に響いた。そういう眼を自分も持ちたいと願う。皆様も持ちたいとお思いになりませんか?